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宗谷 (船) : ミニ英和和英辞書
宗谷 (船)[そうや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 
: [ふね]
 【名詞】 1. ship 2. boat 3. watercraft 4. shipping 5. vessel 6. steamship 

宗谷 (船) : ウィキペディア日本語版
宗谷 (船)[そうや]

宗谷(そうや、巡視船としての船番号は PL107)は、数奇な運命をたどった日本の砕氷船である。
商船として建造され、日本海軍では特務艦海上保安庁では灯台補給船、巡視船として服務した。現在は、巡視船としては唯一の保存船として博物館船となっており、現存する巡視船としては最も古い。日本における初代南極観測船であり、現存する数少ない(見方によっては唯一の)旧帝国海軍艦船でもある。現在でも船籍を有しており、月に1日ほど海上保安庁特殊救難隊の訓練施設として使用されている。
船名は北海道北部の宗谷岬樺太の間にある宗谷海峡にちなんで名づけられた。後継船は若草、ふじPLH01そうや
== 歴史 ==

===商船===
1936年昭和11年)9月18日川南工業株式会社香焼島造船所はソビエト連邦通商代表部より、当時の基準で砕氷型貨物船3隻の発注を受けた〔。これはソ連から北満鉄路を買収した契約の一部であった〔大野芳『特務艦「宗谷」の昭和史』18頁 飯沼一雄「「宗谷」誕生秘話」の孫引き。〕。12月7日、砕氷型貨物船第107番船として川南工業株式会社香焼島造船所(長崎県)にて起工。1938年(昭和13年)2月16日、川南工業社長の長女 川南幸子の手によってソ連船ボロチャエベツ(Волочаевец)〔ロシア語ではアクセントのないоは、アに近いのでヴァラチャーイェヴィェッツが近い発音。赤井謙一『世界の砕氷船』50頁。〕。として進水〔大野芳『特務艦「宗谷」の昭和史』8頁。〕。進水時の船体色は黒で船名の下に「ペドロパブロフスク‐カムチャツキー」と船籍港もかかれていた。
姉妹船ボルシェビキ(Большевики)は1937年(昭和12年)8月10日に、コムソモーレツ(Комсомолец)は1937年(昭和12年)10月20日にそれぞれ進水していた。しかし、第二次世界大戦直前の情勢に鑑み、ソ連への引渡はなされず、船体色を若草色に塗装され商船地領丸として竣工した。同じ様にボルシェビキは「天領丸」、コムソモーレツは「民領丸」となった。なお3隻はロイド船級協会(en)の規格に沿った性能であることが求められたが、1938年(昭和13年)2月10日、一番船ボルシェビキをロイド船級協会、極東主任検査官立会いのもとで公試運転したところ、性能が規定値に満たず不合格となっている〔大野芳『特務艦「宗谷」の昭和史』42頁。〕。
本船と姉妹船はソ連向けに建造された砕氷、耐氷能力と、当時としては珍しい最新鋭のイギリス製音響測探儀(ソナー)が装備されていた民間貨物船だったため、大日本帝国海軍の興味を引いていた〔大野芳『特務艦「宗谷」の昭和史』34-35頁。〕。時勢を睨み測量業務ができ、なおかつ大量輸送能力を持つ船を捜していたのである。だが本船はソ連との契約問題がこじれたため直接日本海軍には就役せず、民間会社の貨物船として運行した〔大野芳『特務艦「宗谷」の昭和史』38頁。〕。
1938年7月15日、日清汽船にチャーターされ、大連を基地にして天津、青島、上海を17〜18日かけて往復する。積荷は主に雑貨であったが、季節によって林檎、肉、栗などを積んだ。1939年3月20日に契約終了。同日香焼島のドックに入り改装される。1939年5月7日、栗林汽船にチャーターされる。ファンネルマークは円の中に漢数字の「七」、函館を基地として占守島西岸にある蟹工場を結ぶ航路に就いた〔天領丸、民領丸の記録はなし大野芳『特務艦「宗谷」の昭和史、文庫版』56頁。〕。行きは蟹工場で必要とされる機材や資材、さらに加工場で働く女工も運び、帰りは蟹、鮭、鱒、缶詰などの水産加工物を満載し函館を往復した。〔船の科学館『資料ガイド3宗谷』17頁。〕5月下旬、占守島から製品を積んで抜錨する。航行中、千鳥列島から北海道全域を覆う濃霧に見舞われたが、一般の貨物船にはないソナーによって、水深を測定しながら北海道を西に迂回し難を逃れた〔毎日新聞社別冊『一億人の昭和史・昭和船舶史』第23号 地領丸(宗谷)で北千島へ 松林楠雄手記 216-219頁。〕〔『特務艦「宗谷」の昭和史、文庫版』58-59頁。〕。
10月、栗林汽船の大連航路を最後にチャーターが解け、辰南汽船の朝鮮航路についた〔『特務艦「宗谷」の昭和史、文庫版』63-64頁。〕。12月10日、地領丸は横須賀に入港し、ここに商船としての航海を終えるに至った〔『特務艦「宗谷」の昭和史、文庫版』70頁。〕。商船としての最後の経歴は、川南工業が1939年4月に設立した辰南汽船に所属していた。この間日本の戦略方針が南方対米重視となったこともあり、3隻を海軍へ売却する計画は消え、地領丸1隻のみが売却されることとなった〔軍極秘の昭和13年5月4日付け、「改装新砕氷艦」の設計図面が存在し、現在は呉市大和ミュージアムが所蔵。〕。
姉妹船2隻のうち、天領丸は1941年10月頃に陸軍に輸送船として徴傭される。民領丸は1941年2月頃に陸軍に徴傭され、4月23日に工作船に改装された〔昭和16年2月28日付 陸軍整備局長 陸支密第556号「特種作戦準備に伴う特大発、大艀舟及工作船等整備に関する件」に対する、昭和16年6月9日付 陸軍運輸部長 運密第921号「特殊作戦準備に伴う工作船及特大発艇整備完了報告」。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宗谷 (船)」の詳細全文を読む




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